LOGIN「でも、お似合いよ」
「本当に違いますから!」
慌てて否定すると、隣から小さな笑い声がした。瓢社長だ。 「社長……申しわけありません」「なぜ謝るんです?」
「だって、変な誤解をされてしまって……」
「僕は別に困りませんよ」
「え?」
「行きましょう」
さらりと言って、瓢社長は駐車場へ歩き出した。 「自宅まで送ります」「でも、ここから近いので……」
「病院帰りの女性と四歳の子供を途中で降ろしたら、何のためにここまで来たのか分からないでしょう」
反論できなかった。 「……では、お言葉に甘えます」「そうしてください」
陽奈を後部座席のチャイルドシートに乗せ、私もその隣に座った。社長の車にチャイルドシートがあるなんて。車が走り出すと、陽奈は上機嫌で今日の出来事を話し始めた。
「しゃちょうさん、きょうね、ひな、おかたづけしたの」
「へえ。偉いね」
「せんせいにもほめられた!」
「それはすごい」
「あとね、おえかきもした!」
陽奈の話を、瓢社長は面倒がることなく聞いてくれる。
私はその横顔を不思議な気持ちで見つめていた。
前の夫は違った。
陽奈が話しかけても、
『疲れてるから後にして』
スマホを見ながらそう言うことが多かった。
私も同じだった。
仕事に追われて、娘の話をちゃんと聞いていなかった。
「ママ」
「なあに?」
「きょう、ママといっぱいおはなしできる?」
胸を突かれた。
「うん」
「ほんと?」
「今日はいっぱいお話ししよう」
「やったあ!」
今度こそ絶対に間違えない。
仕事よりも、お金よりも。
この子と過ごせる時間を大切にする。
そして私を襲ったストーカーを突き止める!
やがて車は、私たちが暮らす社宅へ到着した。
「ありがとうございました」
「部屋まで送ります」
「えっ? そこまでしていただかなくても……」
「荷物を持ちますよ」
「でも……」
「相沢さん」瓢社長が私を見る。
「今日くらい、人に頼ってください」
「…………」
その言葉に何も言えなくなった。
「帰る途中で倒れたら、陽奈ちゃんが困ってしまいますよ」
そう言われては返す言葉もない。
「……ありがとうございます」
三人で階段を上がった。
二階の廊下、いつもの景色。いつもの自宅。
「陽奈、ちょっと待ってね」
「うん!」
鞄からキーケースを取り出す。
鍵を開錠ようと回し――
「……あれ?」
違和感。
「どうしました?」
「……おかしいんです」
背中に冷たい汗が滲んだ。「鍵が……開いています」
どうして?
なぜ?
今まで戸締りを怠ったことはない。鍵をかけ忘れたかも、と思って確認するくらいなのに、ぜったい、おかしい。
「今朝、確かに鍵をかけました」
瓢社長の表情が変わった。
「触らないでください」
「え?」
私より先に前へ出る。
さっきまで陽奈に向けていた優しい表情が消えていた。
「陽奈ちゃんと、後ろに下がって」
低い声。
私は反射的に陽奈を抱き寄せた。
もしかして、私を殺そうとして追いかけて来た――?
瓢社長がゆっくりと扉に手を掛ける。
「社長……」
「ここにいてください」
扉を押す。
ギィ……
暗い玄関が、ゆっくりと姿を現した。
そして。
「…………!」
私は息を呑んだ。
玄関に、見覚えのない男物の靴が、一足置かれていた。
全身から血の気が引く。
そんな。
まだ早い。
それにまだ、彼の正体はわかっていない。
私が殺されるのは、半年後だったはず。
なのに。
死ぬ直前に聞いた声が、鮮明に蘇る。
『これで、ようやく家族になれるね』
私は震える手で、陽奈を強く抱きしめた。
――どういうことなの!?
「……ママぁ」 頬をつんつんと突かれた。「ん……?」「ママ、おきてぇ」「……陽奈?」 ゆっくり目を開ける。 カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。 もう朝なんだ。 あれから、ぐっすり眠れたみたい。「ママ、おはよ!」「おはよう、陽奈」 私は身体を起こそうとして……「……あれ?」 動けない。どうして? 腰のあたりに、何かが……。 そっと視線を下ろすと、大きな腕。 ……腕? えっ!? 慌てて振り返ると、すぐ後ろに真人さんの寝顔があった。「…………っ!!」 ち、近い!! 近すぎる!! そうだった。昨夜、三人でくっついて寝たんだった! でも、まさか朝までこのままだったなんて! 真人さんの腕が、私と陽奈を包み込むように回されている。 私はすっかり、真人さんの胸に背中を預けていた。 しかも私の手が、真人さんの服をぎゅっと握っている。 ……え? ちょっと待って。 これ、私が離さなかったってこと!?「ママ?」 陽奈が不思議そうに首を傾げる。「おかお、あかいよ?」「えっ!?」「おねつ?」「ち、違うよ!」「じゃあ、どうしたの?」「な、なんでもない!」 慌てて真人さんの服から手を離
「はあっ……はあっ……!」 心臓が激しく鳴っている。 怖い。 怖い、怖い! まだ、肩を掴まれた感触が残っている気がする。 ぼろぼろと涙がこぼれる。ぎゅっと自分自身の体を抱きしめた。「葵さん!」 すぐ隣から声がした。「……っ!?」 びくっと身体が跳ねる。「葵さん、僕だよ。真人だよ」「ま、真人……さん……?」
「陽奈ちゃんを守るのは、葵さんだけの役目じゃない」 真人さんが私を見つめる。「僕にも、守らせてほしい」「……真人さん」「葵さんも、陽奈ちゃんも。二人とも大切だから」 その言葉に、胸がいっぱいになった。 大切――真人さんにとって、私たちは大切な存在なんだ。「どうして、そこまでしてくれるんですか?」 ずっと聞きたかった。 最初は、私たちを助けてくれただけだった。それなのに、家に住まわせてくれて、陽奈のことも、まるで自分の娘みたいに可愛がってくれて。「……私たち、偽装家族なのに」 そう言った瞬間、胸がちくりと痛んだ。 自分で言っておきながら、嫌な言葉。 偽装家族。 そうだよね。 私たちは、本当の家族じゃない。真人さんが優しくしてくれるのも、きっと責任感が強いから。 「……葵さん」 真人さんが、少しだけ真剣な顔になった。「僕はね、偽装だから二人を大切にしているわけじゃないよ」「……え?」「最初は、確かに守ってあげたいと思った。それだけだったけど、一緒に過ごしているうちに、気持ちが変わったんだ」 その言葉に心臓が跳ねた。「……気持ち?」「うん」 真人さんが微笑む。「家に帰ったら、葵さんと陽奈ちゃんがいる。それが、すごく嬉しい」 淋しい家に一人で帰る孤独……それはわかる気がする。 誰かが一緒にいてくれるだけで、自分のことを「お帰り」って出迎えてくれるだけで、その日いちにちが幸せになることを、私は知っている。「陽奈ちゃんが『しゃちょーさん』って駆け寄ってくれるのも、葵さんがご飯を作ってくれるのも、
「じゃあ、僕もさっそくなでなで実践してみようかな」「え?」 真人さんが陽奈の向こうから、そっと手を伸ばしてきた。 そして、私の頭を優しく撫でる。「……っ!?」「葵さん。今日は怖かったね」「ま、真人さん!?」「もう大丈夫だよ。僕がいるから」 大きな手が、ゆっくりと髪を撫でる。 ……なに、これ。 子ども扱いされているはずなのに。 どうして、こんなにドキドキするの!?「ママ、どう?」 陽奈が嬉しそうに聞いてきた。「げんきになった?」「えっ!? あ、うん……!」「しゃちょーさん、なでなでじょうず!」「ありがとう。陽奈ちゃんのおかげだね」 真人さんが笑った。 もう! 二人して、私を甘やかさないでよ。 ……でも、もう少しだけ、この手に撫でられていたい。 そう思ってしまった私は、きっと相当重症だ。「じゃあ、次は陽奈ちゃんの番だね」「ひな?」「うん。陽奈ちゃんも、今日はいっぱい頑張ったから」 真人さんが陽奈の頭を撫でる。「お買い物も上手にできたし、ママのことも励ましてくれたでしょう?」「うん!」「えらかったね」「えへへ!」 陽奈が嬉しそうに目を細める。「しゃちょーさんも、なでなで!」「僕も?」「うん! しゃちょーさんも、がんばった!」「そっか。ありがとう」 真人さんが頭を下げると、陽奈が小さな手でぽんぽんと撫でた。「いいこ、いいこ!」「ははっ。ありがとう」 ……ふふっ。
一緒に寝る? とか聞かれたせいで顔が一気に熱くなる。 真人さんがくすっと笑った。「冗談だよ」「も、もう!」「ごめん。葵さんの反応が可愛くて」「…………!」 か、可愛い!? 今、可愛いって言った!? この人、敬語をやめてから、どんどん距離が近くなってない!?「ママー!」 陽奈が私の服を引っ張った。「ひな、まんなか!」「え?」「ママとしゃちょーさんの、まんなかでねる!」「陽奈……」「だって、ふたりともだいすきだもん!」 満面の笑顔。 ああもう、そんなことを言われたら、何も言えなくなっちゃう。 真人さんが陽奈の頭を撫でた。「じゃあ、陽奈ちゃんを真ん中にしよう」「やったぁ!」「ただし、僕はベッドの横に布団を敷くからね」「くっつけて?」「うん。くっつけよう」 陽奈が嬉しそうに飛び跳ねる。 その姿を見て、真人さんも笑った。 私たちは三人で寝具を整えることにした。「しゃちょーさん、こっち!」「はい、先生」「せんせいじゃないよ!」「あれ? さっき先生になるって言ってなかった?」「いまは、ひな!」「そっか。じゃあ、陽奈ちゃん」「はーい!」 真人さんが予備の布団を運んでくる。 私も手伝おうとしたけれど、あっさり断られてしまった。「葵さんは陽奈ちゃんと待ってて」「でも、これくらいなら……」「今日はいろいろあっただろう? 少し休んで」「……ありがとう」「どういたしまして」 真人さんは手際よく布団を敷いてくれた。 ベッドのすぐ横に、一組。陽奈がその布団を
家に戻れることになったので、早速家に戻った。 もうストーカーからは連絡がない。もかちゃんは警 察に預けたし、この家に盗聴器などの類はないと信じたい。 注文した宅配オムライスの夕食をすませ、陽奈と一緒にお風呂に入った。 陽奈の保育園の話をたっぷり聞いて、お風呂から上がってパジャマになって、髪を乾かした。「しゃちょーさーん」 陽奈がタタタッと真人さんの方へかけて行った。「じゃあ、そろそろお泊まり会の準備をしようか」 真人さんが陽奈を抱っこしてくれて、そのまま私に微笑んだ。「……本当に、いいの?」「もちろん。今日は三人で寝ようって約束しただろう?」「でも、真人さんの寝室にまでお邪魔するなんて……」「葵さん」「……なに?」「遠慮禁止」「あ……」 また言われてしまった。「それに、僕だって一人で寝るより、みんなと一緒の方が楽しそうだと思ってるんだ」「しゃちょーさんも、おとまりかいしたいの?」「うん。実はお泊り会って初めてなんだ。すごく楽しみで」「ええっ!?」 陽奈が目を丸くした。「しゃちょーさん、おとまりかいしたことないの!?」「ないんだよ。だから、陽奈ちゃんが僕に教えてくれる?」「いいよ! ひな、おとまりかいのせんせいになる!」「それは頼もしいな」「まずね、おふとんをならべるの!」「なるほど」「それから、みんなでおしゃべりするの!」「ふむふむ」「それからね、ないしょのおはなし!」「秘密の話?」「そう! ママにはないしょ!」「えっ、ママは仲間外れ?」「あ、きょうはママもいっしょだ!」「じゃあ、誰に内緒なの?」







